“水の記憶”のサイトにようこそ!

本サイトにおきましては、“水の記憶”という現象について、扱っていきたいと思っております。

“水の記憶”とは、“水にはさまざまな情報を記憶する能力がある”という主張を端的な言葉で表現したものです。子どもの頃、海で溺れかかったというような、水にまつわる個人的な記憶という意味ではありません。

余談ですが、なぜこのようなことを書くかと言えば、筆者は、ある時、アマゾン・ドット・コムで“水の記憶”関連の書物を検索していて、その名もズバリ、「Memory of Water」というタイトルの書物があったので、喜び勇んで注文したところ、届けられたのは、極めて文学的な“水の記憶”にまつわる小説であった(ほとんど読んでいないので、推測ですが…)、というちょっと悲しい思いをしたことがあったからです。

さて、それで、“水が持っているとされる、さまざまな情報を記憶する能力”、すなわち当サイトで言うところの“水の記憶”ですが、こうした能力を水が本当にもっているのかどうかということについて、現状では、賛否両論あります。

最初に当サイトの立場を明確にさせていただきますと、当サイトでは、すなわち筆者の思いとしましては、“水には情報を記憶する能力がある”という命題について、直観的に真実である、と捉えております。

そして、“水にはそのような記憶能力はない”と言うような主張については、現状では分析機器の精度や科学的なモノの考え方において、まだまだ未熟な部分があるが故に、時にはそのようにも観察されることがあるかも知れない。しかしながら、真実がすべて露わになった暁においては、“水の記憶”という現象の存在については、まったくの紛れなしに誰もが納得できる時が来るであろう、と考えております。

そこで、当サイトの趣旨ですが、当サイトを訪れてくださっている皆様に、できるだけ説得力のある形で、少しずつにしても、“水の記憶”の存在を示唆する、さまざまな論説・実験などなどを提示していきたい、というところにあります。

ですが、同時に筆者は極めてオープンな立場を貫いていきたいとも考えております。

その意味は、どちらの立場に立つにしても、「そんなことはあり得ない」という切って捨てるような主張には与しない、ということです。「そんなことは、現代科学の常識からして、あり得ない」という主張についても、直ちに却下です。

その時代時代における「科学の常識」なるものが、如何に移ろいゆくものであるかについては、ちょっと科学史を振り返るだけで理解することができることでしょう。

有名な例としては、19世紀後半に活躍し、熱力学の分野で偉大な貢献をしたイギリスの物理学者ケルヴィン卿が、「空気より重い物体が空を飛ぶことは理論的に不可能である」と言ったとか、あるいはより有名でない例としては、電荷の最小単位を計測して1923年にノーベル物理学賞を受賞したアメリカの物理学者ロバート・ミリカンが、「人類が原子力を利用できるようになる可能性はない」と言ったとか、はたまた、現代においては極めて常識的になってしまっているプレートテクトニクス理論が、特に日本の学会において、長い間受け入れられなかったとか…。丹念に探していけば、枚挙にいとまがないことでしょう。


さて、それで“水の記憶”ですが、これはなかなか手強いテーマであり、これについて直観に頼らず、論理的に100%確実な形で、そして誰もが納得できる形で証明していくことは、現時点では結構至難なワザであるように感じます(それが容易に実現されることであるならば、当サイトはそもそも存在していなかったことでしょう)。

なぜ、そのような状況なのか。その理由として、筆者は以下の2つを考えています。

  1. まだまだ実験的証拠が足りない。すなわち行われるべき実験がまだ行われていない。そういう意味で現在の我々の知識は不完全である(あるいは既に実験は行われているが、その結果についてまだ広く知られていない)。
  2. “水の記憶”という現象については、観察者の意識に左右されるものなので、状況が曖昧模糊としているのは、原理的に致し方ないことである。

1.の可能性は勿論、充分あることでしょう。ですが、水に関して微妙な実験を行おうとすると、(今、ここで詳しく述べることはしませんが)2.に書かれている観察者の意識というものが本質的に絡んでくる可能性があります。

単に観察者の意識だけではなくて、その結果を認識する人間の意識、そしてさらに人類の集合意識全体が本質的に関わってくる可能性さえもあるであろうと筆者は考えています。

しかしながら、「科学」というものは、本来、どんどん新しい要素を取り入れながら、自ら進化発展していくものなので、そう言った本筋の考え方からすれば、観察者の意識という新しい要素が加わった形での「新しい科学」というものが構築されていかなければならないでしょう。

さて、このような現状であるということを前提として、当サイトでは、以下の3つの項目についての解説もしくは説明を試みます。

  1. ロシアで製作された水に関するドキュメンタリー映画“ウオーター”
  2. 日本の水の伝道師・江本勝によって著された“水からの伝言”という水の結晶写真集
  3. 世界中のさまざまな科学者・研究者による“水の記憶”に関する研究(直接的なもののみならず、間接的なものも含む)

映画“ウオーター”は、“水の記憶”を考える上で、極めて重要な素材です。そして、映画“ウオーター”が製作されるに当たっては、オフィス・マサル・エモトの江本勝によってちょうど10年前に著された水の結晶写真集“水からの伝言”が、先導的かつ本質的な役割を果たしてきています。

“水からの伝言”については、著者の江本自身が述べているように、現時点では、決して科学ではなくて、むしろファンタジーとでも言うべきものですが、一部の科学者からは、「科学的ではない」として、厳しい批判を浴びている現状があります。

ところが、その一方で、少数ながらも世界の心ある科学者たちによって、“水からの伝言”が訴えてきた“水の記憶”という現象に正面から向き合うような実験も行われてきており、“水の記憶”を説明する仮説すらも提示されてきています。

そうした中で、始めから直観的・感覚的に“水の記憶”について「知っている」人のみならず、中立的な(どっちつかずの)方や、あるいは現時点で懐疑的な方でさえも、当サイトで提示していく情報に触れることによって、少しずつ、“水の記憶”の可能性について、腑に落としていって下されば、筆者としてそれにまさる喜びはありません。

冒頭のページにしては、ちょっと堅苦しく書きすぎてしまっているようにも思いますが(^^;)、随時更新していく予定です。

まだまだ工事中の部分が多くて大変恐縮ですが、読者の皆様から、何かアドバイスやコメントなどがありましたら、遠慮無く、ご連絡ください。

ここまでお読みくださいまして、ありがとうございます。

2009年7月吉日
映画“ウオーター”日本語版製作委員会代表
オフィス・マサル・エモト
根本 泰行
連絡先:yasuyuki.nemoto@hado.com