ジャック・ベンベニスト博士 《前編》 −“水の記憶”を示す高度希釈実験− 3回に分けて、“水の記憶”に直接的に関わる科学的実験結果を提示してきているジャック・ベンベニスト博士の業績について、解説していきます。
ただの水に顕著な治療例 そのための準備として、まず簡単にホメオパシーにおけるレメディについて説明します。 ホメオパシーにおいては、植物の抽出液などの薬効成分を含んだ原液を繰り返し水で希釈することによって、レメディと呼ばれる治療薬を作製します。 100倍希釈を30回繰り返して作られたレメディは30C、200回繰り返して作られたレメディは200Cなどと呼ばれます。30Cのレメディは実際には10の60乗倍、200Cの場合には10の400乗倍希釈されたことになります。 アボガドロ数(≒6×10の23乗)と呼ばれる定数を使った簡単な化学の計算から、コップ一杯程度の体積を持つどんな水溶液も、10の23乗倍程度希釈されると、元の薬効成分がいかなるものであれ、薬効成分の分子は、最大で1分子程度しか残っていないことが分かります。 従って、10の23乗倍を越えて、10の60乗倍もしくは10の400乗倍希釈して作られた30Cや200Cのレメディは、物質としては水そのものであって、原液の中に溶けていた物質は1分子も残っていない、と言うことができます。そして元の分子が1分子もないほどに希釈を重ねることを、“高度希釈”と呼びます。 もう一つ重要な操作として、レメディを希釈する際には、容器を強く叩くこと、即ち振盪することが必須であることもよく知られています。容器を振盪しないと、効力を持ったレメディを作ることができないのです。 ホメオパシー療法においては、“振盪”と“高度希釈”によって作られた実質上はただの水でしかないレメディを患者に処方するのですが、実際に顕著な治癒効果をもたらしています。従って、経験的事実として、「水にはかつて溶けていた物質の情報を記憶する性質がある」と考えざるを得ないのですが、その仕組みを従来科学で説明することができないために、ホメオパシーそのものに対しても懐疑的に捉えている科学者がたくさんいます。 “振盪”と“高度希釈”によって作られた“ただの水”が確かに生理的活性を持っているということを、試験管の中の反応系を使って初めて実験的に示し、専門家向けの科学雑誌上で堂々と発表したのがフランスのジャック・ベンベニスト博士です。 予想外の実験結果 70年代から80年代にかけて、ベンベニスト博士はパリの国立保健医学研究所にある研究室で、ヒトの血液から取り出した好塩基球と呼ばれる白血球の一種を使って、アレルギー反応を分析していました。好塩基球を入れた試験管の中にアレルギーの原因物質を添加すると、好塩基球は反応して細胞内の顆粒を外に放出します。この反応は脱顆粒反応と呼ばれています。ある種の抗血清(抗IgE抗血清)もこの反応を引き起こすことが知られており、ベンベニスト博士はこの抗血清を使って脱顆粒反応の性質について調べていました。 1981年〜1982年頃、ベンベニスト博士の研究室にはベルナール・ポワトヴァンという名前の研究者がいました。彼はホメオパシー医でもあったので、抗血清を“高度希釈”した時にどういう結果が得られるかについて実験したいと言ってきました。 ベンベニスト博士は、当時ホメオパシーについてまったく知らなかったので、「君の好きなようにやってみたら。でも何も結果は出ないよ。高度希釈すれば、それはただの水だから」と言ったのでした。 抗血清を、通常用いられる濃度(10の3乗希釈程度)で作用させれば、過半数の細胞が脱顆粒反応を示すことは既によく知られています。常識的に考えれば、抗血清を希釈すればするほど、その効果はどんどん弱くなっていき、やがて完全にゼロになるはずです。すなわち図1のような結果が予想されます。
ところが驚くべきことに、実際に実験を行ったところ、図2の結果が得られたのです。通常用いられる濃度で効果があるのは当然ですが(10の3乗希釈のところにピークがあり、これを“低度希釈活性”と呼ぶ)、抗血清を繰り返し希釈していったにも関わらず、脱顆粒反応の割合が単調にゼロに近づいていくという結果にはならず、周期的に有意な脱顆粒反応が観察され、10の60乗倍希釈においてすらも、脱顆粒反応を引き起こす活性が認められたのです(“高度希釈活性”と呼ぶ)。
10の23乗倍を越える希釈倍数は、いわゆる“高度希釈”に当たり、理論的には元の抗血清の分子は1分子も存在していないはずです。にもかかわらず、脱顆粒反応が引き起こされています。グラフ横軸右端の10の60乗倍の希釈度は、ホメオパシーのレメディにおける30Cに対応します。 またホメオパシーのレメディを作製する時と同じように、希釈ごとに“振盪”することが必須でした。“振盪”しなかった場合には、“高度希釈活性”は観察されませんでした。 これらの結果にベンベニスト博士は困惑し、他の研究者にも同じ実験をさせましたが、若い学生のエリザベート・ダヴナや医者のフランシス・ボ−ヴェも同じ結果を得たのでした。彼らは人為的ミスを出来るだけ排除するために、盲検法を取り入れましたが、それでも相変わらず“高度希釈活性”が観察されたのでした。 科学誌の非科学的な態度 この画期的な実験結果をまとめて、ベンベニスト博士は、自然科学の分野でもっとも権威があると言われているイギリスのネイチャー(Nature)という学術雑誌に投稿しました。そして、2年に渡る審査を経て、1988年6月30日付けのネイチャーに論文は掲載され、世界中の科学者たちに衝撃を与えました。 ところがこの論文には前代未聞のネイチャー編集部による10行ほどの「但し書き」が付いていて、「この実験結果は従来の科学の理論ではまったく説明できないので、編集部としてはベンベニスト博士の協力の元に調査団を組織して博士の研究所に派遣し、実験の追試を行う予定である」という趣旨の文章が添えられていました。 これはネイチャー編集長のジョン・マドックスが考えたことであり、実は、調査団による実験の調査を受け入れることを前提条件として、ネイチャー編集部はベンベニスト博士の論文を受理していたのでした。 そして実際、「但し書き」どおりに、ネイチャー編集部が組織した調査団が7月4日から5日間に渡ってベンベニスト博士の研究室を訪れ、計7回の実験が行われました。 7回の実験のうち、最初の3回はベンベニスト博士が普段行っているのと同じ方法で実験が繰り返され、4回目の実験では盲検法が採用されました。これらの4つの実験においては、見事に“高度希釈活性”が再現しました。ところが残りの3回の実験においては調査団が実験操作に対しても大幅に介入し、大きな心理的圧力の元で実験が進められました。その結果なんと実験は失敗に終わり、「高度に希釈された抗血清の場合には脱顆粒反応が起こらない」、すなわち「ベンベニスト博士の今までの実験結果はまったく再現されない」という結論が出てしまったのです。 最初の4回の実験では再現性があったので、調査団としては慎重な態度を取る必要があったのですが、7月28日付けのネイチャーに、「高度に希釈した実験の結果は幻であった」という断定するようなタイトルのレポートが掲載されてしまいました。 この事態は大論争を巻き起こしました。ベンベニスト博士は反論を投稿しましたが、ネイチャー誌にはベンベニスト博士の実験結果を再現できないとする他の研究者たちによる論文が立て続けに掲載されました。数ヶ月の後には、一般の科学者のほとんどはベンベニスト博士の報告は間違いであったと考えるようになり、やがてベンベニスト博士自身は公的な職を追われ、研究資金も打ち切られることになってしまったのです。 1988年のネイチャー誌上における論文発表から、既に20年以上も経過している現在2009年においても、一般の科学者たちのほとんどが、ベンベニスト博士の“水の記憶”に関する実験結果はインチキであった、と考えているのではないかと思います。 ですが、ベンベニスト博士の実験結果について、今一度、真剣に考え直してみるべきではないかと筆者は考えています。 その理由について、《中編》で解説します。 【参考文献】
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